「モンスターペアレント」とは、学校に対して自己中心的で理不尽な要求を繰り返し、正常な学校運営を妨げる保護者を意味する和製英語だそうです。
最近よく耳にする言葉ですよね。同名のドラマも放映されていました。
「モンスターペアレント」の存在が学校教育を混乱させているとまで言われていますが、本当にそうなのでしょうか?
僕は少し違うと思います。
学校側にも大きな問題点を含んでいるのではないでしょうか?
学校の先生方が保護者の方と上手くコミュニケーションを取ることができていないために、「モンスターペアレント」は生まれたのではないでしょうか?
実際に先生方は、「日常業務に忙しくて、保護者のクレームにいちいち対応していられない」とおっしゃられます。それは、許されることでしょうか?
たしかに、学校の先生が抱えられている仕事は、日常の授業、授業の準備、テストや課題の採点、クラスの掲示物、遠足や運動会、音楽会などの行事の計画、保護者との面談、中学校であれば、クラブ活動などたくさんあります。家に仕事を持ち帰ることもあるそうです。しかし、だからといって保護者の方との面談をおろそかにしてはいけないと思います。
本来なら、子どもたちの保護者のみなさんと学校の教師が協力し合って子どもたちの成長を支えていかなければいけません。さらに、保護者のみなさんの意見を聞きながら、日々の指導を改善していくことが大切なのではないでしょうか?
「モンスターペアレント」という言葉が一般的になってきたことによって、本来なら重要視されるべき、保護者の意見までが無視されてしまうようなことになりかねません。保護者のみなさんの立場で考えても、“こんなことを言ったら、先生からモンスターペアレントと思われるかもしれない”とか、“あまり親がでしゃばると、子どもへの見方が悪くなるかもしれない”と考えてしまい、学校に意見をするのを控えてしまうことにもつながるでしょう。このことは、学校教育に悪い影響を与えてしまうように思います。
また、日本の教育は多くの問題を含んでいるといえます。「ゆとり教育」の見直し、「英語教育」の充実などが取り上げられていますが、それで学校教育はよくなっていくのでしょうか?
現在の日本の教育に大きくかけているのは、「対人交渉力」ではないでしょうか?子どもたちの学校の授業に対するイメージは「受ける」ということです。どういうことかといいますと、先生の話や説明を聞いているだけという印象なのです。授業に「参加する」ということができていない、いや、参加することができないシステムになっているのです。
もちろん、戦後、日本の経済成長をささえてきたのは、日本の教育です。義務教育の間にしっかりと、管理されるということを植えつけられて育った子どもたちは、大人になり企業の一員として働いてくることができました。
しかし、これからますます広がっていくグローバル社会において、人とは違う何かを持った人間が世界で活躍していくことでしょう。
「個性的に振る舞えば居場所を失う」、
「出過ぎた杭はみんなに叩かれる」
そんな日本の教育で育った子どもたちが、個性を活かして世界で活躍することができるのでしょうか?英語教育を充実させるよりも、もっとすべきことがあるのではないでしょうか?
子どもたちが成長していく上で、「家庭」「学校」「地域社会」が非常に重要な役割を果たしているのは言うまでもありません。子どもたちの成長の責任を押し付けあっている場合ではありません。「家庭」は「学校」に対して、学級崩壊や教師失格などと責任を追及し、「学校」は「家庭」に家庭のしつけ不足や親の責任を追及する。そうやって、何かが解決するとは思えません。「モンスターペアレント」という言葉が流行したことは、こういった風潮の一端ではないでしょうか?今こそ、もう一度「家庭」「学校」「地域社会」が一丸となって、子どもたちの成長を考えるときだと思います。
私は、小さな塾にいる一講師ではありますが、子どもたちの成長に少しでも役に立てるように努力していきたいと思っています。