「江戸幕府旣に開けたりと雖も、大坂城には尚豊臣秀頼のあるあり。今や一の大名として、僅に攝・河・泉三州の地六十餘萬石を領するに過ぎざれども、その據城たる大坂城は要害最も堅固にして金穀の貯蓄亦甚だ豊なるが上に、官位も次第に進みて正二位右大臣に陞(のぼ)り、諸大名の中には秀吉の舊恩を思ひて心を之に寄するもの少からざりき。されば家康之を憚り、常に後患を斷たんとするの意あり。[中略]和議の条件に
總堀を塡(うず)むるの箇条あり。總堀とはもと外堀の意なり。然るに事に當りし家康部下の将は大坂方と其の解釋を異にし、強ひて城の内堀をも塡めたり」
現在で言えば中学生にあたる高等小学校(12~13歳)生徒用、明治44(1911)年発行の歴史の教科書の文章です。
漢文読み下し調の文章が長々と続きますが、さてどんな出来事を説明している箇所かわかりますか?
広島大学図書館のHPで学制発布後から発行された戦前の教科書の画像データを公開しています。
興味のある人は見てみよう。
教室長:古田芳郎