インフィニティ あのね日記

インフィニティからのお知らせや日々の教室での出来事など

「なぜ勉強しなきゃいけないの」

大人になるにつれ世界がそれまで教えられてきたような、優しく親切な場所ではないと気づき始めます。大人になる過程は興味深いものです。我々は理解できないまま良からぬ現実を知るものです。私たちは「死」を理解する前に死を知ることになりますよね。「悪」も同じです。世界にはびこる悪について理解できるようになる前にその存在を知るわけです。人は物事を理解すると同時に理解していない状態でそれを学んでいるのです。しかし心の底から理解してはいない。「死」や「悪」に関して口先だけであまり理解していません。大人になることは自分の至らぬ点を認め自身を赦すことです。現実には人生は困難だがそれでも折り合いをつけることを学ぶべきなのです。とはいえ自分自身に完璧を求めてはいけません。自身の至らない点を受け入れる術を学ぶこと、それが大人になる上で重要なのです。

 

 

もう6年前の放送ですが、ETV特集「カズオ・イシグロをさがして」より。

 

 

答えの一つにはなっているかも。

 

長峰中マスター教室 教室長:古田芳郎

聖徳太子or厩戸皇子

「聖徳太子が古事記や日本書紀においては「厩戸皇子」などと表記され、後に「聖徳太子」と呼ばれるようになったことに触れること」、これが私たちが聖徳太子だと学んできた人物に対する新たな文部科学省の学習方針です。

聖徳太子という呼称は平安時代から使われている呼称なので、飛鳥時代の人物である彼の話をするときは確かに厩戸皇子と呼ぶほうが正しいです。

ですが一方で彼について聖徳太子という呼び方が平安時代以降1000年以上残り、明治時代になると政府が発行した紙幣に聖徳太子という名前つきで度々登場してきたのも事実です。

彼が厩戸皇子だと呼ばれていたことが歴史的事実であるのと同時に、その後聖徳太子と呼ばれてきたのも歴史的事実です。

何故彼がそのように呼ばれることになったのか、何故彼には不幸な最期を遂げた天皇に贈られてきたという説がある「徳」という文字が与えられているのか、そしてその呼び方が現代まで伝わっているのか。

そこに思いを馳せることも一興かもしれません。

 

今津中マスター教室教室長:瓜生翔太

心臓が泣いている

私事ではありますが、今年小学校2年生と年長の息子が二人います。

子どもというのは僕たち大人が予想もしない、しかしながらはっとさせられる発言をすることがあり、ふむふむと思いながら話を聞いています。

次男坊は動物が大好き。動物のDVDを観ている時、ライオンがシマウマを捕らえる場面がありました。

それを見て「あのシマウマは食べられる?」と聞いてきたので、『そやな。バクバクって食べられるな。』と答えたら、しばらくして「俺の心臓が泣いてるわ。」と言いました。

おそらくそういう自然界の掟の現実を見聞きして悲しくなりそのように表現したのでしょう。

おもしろいのはそれを‘胸’で体感しているということ。

確かに、好きな子のことを考えると‘胸がキュンキュンする’という表現を使うし、科学的にも心臓移植をした人の性格や好みが変わったりと心臓には記憶力が備わっているのでは?という報告をしている学者もいます。

【心】を豊かにするには【体】を鍛えるのも一つの策なのかもしれませんね。

 

烏帽子中マスター教室長・浜脇中マスター教室長 :谷良太

時代の流れ

以前の新聞記事で、兵庫県の人口転出超過数(転出が転入を上回った数)が全国ワースト3の6760人というデータに驚きました。

転出数の半分以上が20代の若者で、大阪や首都圏への転出が目立つそうです。

時代によって働き方などが変わり、それに伴って居住地を決める要因は多様化しています。

若者が転出する要因も、都市圏への一極集中という時代の流れということが挙げられるでしょう。

また、大学入試も時代の流れにあわせて変わります。これまでの入試では知識・技能を多く求められていたものが、今後は習得した知識をどう活用し、どう表現するかという点が求められます。

いわゆる思考・判断・表現力と言われる能力を鍛えていく必要があります。

]これらは当然、短期間で身につくものでありませんので、普段の授業で少しずつ吸収していくことが重要です。

テスト前にあわてて詰め込むような勉強方法をしている生徒は、将来を見据えて勉強方法の改善をしましょう。

 

魚崎教室教室長:宇野健一

2017年6月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : 松本飛鳥

ハイブリッドな形容詞

「このケーキやばい!」

皆さんはこの表現をどのように捉えたでしょうか?!

否定も肯定もせず、近年この“やばい”という形容詞の使用方法に変化が起こっています。

本来“やばい”とは、「あぶない。つごうが悪い。」という否定的な意味を有する表現ですが、若い世代を中心に、『すばらしい。魅力的である。』という肯定的な意味で使用されることが多くなりました。

上記の例もこの一文だけでは、「このケーキまずい!」なのか『このケーキおいしい!』なのかは判断し難い。

言葉は変化していくもの。この言葉を使用すること自体は否定しませんが、語彙力の低下の原因にならないように注意しましょうね。

中2が学習する清少納言の枕草子。

現代っ子が口語訳するとこんなことになったりして!?

 

~春は明け方(がやばい)~、

~蛍がやばいくらい飛び交っているのがやばい~、

~雁などが列を作ってとても小さく見えるのはとてもやばい~、

~昼になり、寒さが段々緩んでいくと、火桶の火も白い灰ばかりになってやばい~

 

烏帽子中マスター教室長・浜脇中マスター教室長 :谷良太